ゆかりの地

木幡神社

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木幡神社は第50代桓武天皇の御代に創建された神社であり、室町時代に建てられた楼門と本殿は国の重要文化財に指定されています。かつてこの周辺を治めていた塩谷氏の氏神として祀られており、およそ400年間にわたり塩谷氏によって厚く崇敬されました。

祭神は正哉吾勝勝速日天忍穂耳尊、配神は事代主命・田心姫命・大己貴命です。

歴史

創建は延暦年間(795年~806年)とされています。平安時代初頭の795年、征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征伐の折に戦勝祈願し、見事念願成就したことから神意に感謝し、日頃から尊敬していた山城国 許波多(こはた)神社(京都府宇治市/祭神:天忍穂耳命)の分霊を勧請したことが始まりと伝えられています。当初は峯村の地に鎮座していましたが、大同2年(807年)に現在地に遷座し、田村麻呂ゆかりの赤鶴の面が奉納されています。
*別説には、塩谷惟広が山城国 宇治の許波田神社を勧請したと伝えられています。

天慶3年(940年)、藤原秀郷が平将門の乱(承平天慶の乱)を際、当社で戦勝祈願をし将門を討ち取ると社領1,000石が寄進され、 永承6年(1051年)には源頼義、義家父子が前九年合戦の戦勝祈願を行い、宿願である安部貞任を討ち取っています。

文治2年(1186年)、当時の領主塩谷惟頼が平家追討の戦勝祈願し念願が達成すると、領内の総鎮守と定め代々の崇敬社としました。

建久4年(1193年)、源頼朝が那須野の原で狩をしていた際、愛犬が狂犬病になった為、病気快癒の祈願を行うと忽ち平癒し以後病犬除けの御利益があるとして信仰されました。 文禄4年(1595年)、当時の当主塩谷義綱が改易になると、庇護者を失い一度は衰退しました。しかし 江戸時代に入ると徳川家三代家光の代の1648年に幕府が庇護し、社領200石が安堵されました。日光二荒山神社を相殿するなど日光東照宮(栃木県日光市)とも関係を深くしています。

明治時代初頭に発令された神仏分離を経て 明治3年(1870年)に郷社に列し、 明治40年(1907年)に神饌弊社帛料供進神社に指定されています。

文化財

本殿は、室町時代中期に造営された建物で三間社流造、銅板葺、 楼門(随神門・神社山門)も、室町時代中期の建築で、一間一戸、入母屋、銅板葺き(旧茅葺)、四脚楼門で共に室町時代の建築の特色が見られます。明治41年(1908年)8月に特別保護建造物に指定され、昭和25年(1950年)8月には国指定重要文化財に指定されています。

境内に建立されている鉄灯籠は元和3年(1617年)、土佐藩2代藩主山内忠義が徳川家康の一周忌に日光東照宮に寄進したもので、何らかの経緯で木幡神社に移されています。

木幡神社の文化財
・ 木幡神社本殿-室町時代中期-三間社流造,銅板葺-国指定重要文化財
・ 木幡神社楼門-室町時代中期-一間一戸,入母屋,銅板葺-国指定重要文化財
・ 木造馬頭観音菩薩坐像-室町時代-栃木県指定重要文化財
・ 神像(大国主命・味耜高彦根命・田心姫)-江戸時代-矢板市指定有形文化財
・ 鉄燈籠-元和3年(1617年)-矢板市指定有形文化財
・ 陶製狛犬雌雄(1対)-推定:古瀬戸-矢板市指定有形文化財
・ 蝉錠-室町時代-山城国孝廣作,長さ2.5㎝,蝉の彫刻-矢板市指定有形文化財
・ 木幡神社の神號奉額-花山院筆、崎山五左衛門作-矢板市指定有形民俗文化財
・ 木幡神社の和算扁額-和算2題-矢板市指定有形民俗文化財
・ 木幡神社の太々神楽(36座)-矢板市指定無形民俗文化財
・ 木幡神社杉社叢(10本)-矢板市指定天然記念物
・ 境内一帯-2.27ha-木幡緑地環境保全地域

祭礼行事

厄除け大祭(どんど焼き・太々神楽)

毎年1月14日に開催。正月飾りを焚き上げ、家内安全や無病息災を祈るどんど焼きが行われ、太々神楽が奉納されます。

どんど焼きとはお焚き上げのことで、お札、お守り、だるま、そして正月飾りなどを燃やし供養します。

春季例大祭(太々神楽)

木幡神社に伝わる太々神楽は、「宝暦六巳年(1756)当社太々神楽奏始り」とあり、日光より伝わったといいます。江戸時代以来、地区内の氏子によって奉納されてきました。1月14日(どんど焼き)と4月第2日曜に奉納されます。

太々神楽は古事記などにある「天の岩戸」などの日本神話を伝統の音楽と舞にのせて表現します。舞は 13 座からなりますが、舞に登場する神が 36 ということから 36 座といっています。矢板市指定無形民俗文化財に指定されています。

秋季例大祭(百物揃武者行列渡御)

毎年10月第2日曜日に開催。100人を越える武者行列が周辺を練り歩き、勇壮な戦国絵巻が繰り広げられます。武者が使用する刀や槍など装具類はすべて神社保有の歴史あるものです。

現地の様子

木幡神社の周辺の様子です。民家と田んぼに囲われたのどかな場所です。この日は撮影にもってこいの天候でした。

木幡神社の前にある参道の入り口です(一の鳥居)。この参道の右横には不完全な五輪塔が残されています。

こちらが、先程の参道入り口右横にあった不完全な五輪塔です。上から、空倫、風輪、火輪、水輪、水輪と積み上げられています。

*五輪塔は石造塔婆の一つで、本来上から空輪、風輪、火輪、水輪、地輪と積み上げるのが一般的とされています。こちらの詳細は六房寺のページで詳しくご紹介します。

奥に見えるのが木幡神社です。

手前の参道の空地は参詣客の駐車場として使われることも多いようで、時折車が止まったりします。

木幡神社入口

立派な鳥居です。柱のてっぺんに屋根が付いた冠木門(かぶきもん)形式です。この先の石段を上ると本殿があります。

石段を上ると室町中期の楼門がたたずみます。屋根は後年銅板葺に改装されています。
楼門をくぐると石畳の参道が拝殿まで続きます。

手水舎

立派な龍の作りです。過去には多くの人が利用していたのでしょうか。

参道の右手にある、市指定有形文化財の鉄灯籠。元和三年(1617)松平土佐守藤原忠義が日光東照宮に寄進したものです。東照宮と関係深い木幡神社へ移されたようですが損壊部や亀裂があり、平成十三年補修修理したとのこと。

江戸時代に再建された拝殿。奉納された和算扁額、安政年間の絵馬などを見ることができます。

社務所の様子。元旦や祭礼行事の際に使われることが多く、普段はこの場所を含め神社は無人のようです。

阿の子持ちの狛犬(昭和14年に奉献)。左側には吽の毬を持った狛犬がいます。

矢板市指定文化財に指定されている杉の大木が社殿を取り囲み、荘厳な雰囲気を醸し出しています。

稲荷神社

無盡水(むじんすい)。尽きる事のない水という意味です。ここで湧き出る水は、高台にありながらどんな日照りにも絶えたことがないとされており、水道が普及するまではお祭りの賄いに使われていたようです。

アクセス

住所

栃木県矢板市木幡1194-1

行き方

徒歩:JR矢板駅から約30分
車:矢板ICから約10分
バス:JR矢板駅から市営バス「中央部循環路線」で「フードオアシス オータニ矢板店前」バス停で下車し、徒歩5分。
   時刻表はこちら

連絡先

木幡神社 総代 荒井 様
0287-43-3586

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